西川口流(NK流)全盛期の思い出(3)ストリップ小屋
西川口に住んでいた時の風俗の思い出を、下記のように書き綴っていましたが。
西川口流(NK流)全盛期の思い出(1)あの頃の西川口
西川口流(NK流)全盛期の思い出(2)オキニの思い出
今度はストリップ小屋の思い出です。
西川口には駅から少し離れたところですがテアトル西川口というストリップ小屋がありました。ってまだあるようですが。
そして隣の駅の蕨駅には2店あって蕨ミニ劇場(まだあるようです)、もう1店がワラビOS劇場でこちらはたしか私が西川口に住んでいる時に閉店になった記憶です。
初めていったのはテアトル西川口。入口で入場料を払って入ります。入るとすぐは廊下で劇場内には扉を開けて入ります。すると中は薄暗く、スポットライトなどの照明がピカピカ色んな色に切り替わってステージを照らしていて音楽が轟音でなっていました。客席の数は30〜40ぐらいだったか。
恥ずかしいので後ろの方の席に座って見ていました。一人の嬢が大体3〜4曲だったかな?踊ります。で、曲の途中にお触りサービスといって一人ひとりに胸を触らせたりアソコを触らせてくれたりします。その時は劇場に向かってオッサン達の行列ができます。一人ひとりの手を紙おしぼりで拭いてからお触りです。で、それが終わると大抵は最後の曲になります。最後の曲で初めて完全開帳のおまんまんおっぴろげとなります。M字開脚で腰とお尻をフリフリ揺らしながら客席にグイグイ付きだして来ます。最前列のお客さんは顔を突き出すようにしてガン見!私はどうにも恥ずかしくて最前列にはいけないのでオッサン達の後頭部でおまんまんが隠れて見えないのを見ようとして顔を左右に動かして見れる目線を何とか確保する、というこれの方が逆に結構恥ずかしいじゃないの?という有様…。でもそんな感じで後方の席の人はしきりに顔動かして見ようとしていました。
そして驚いたのが嬢全員がやっていたのではない記憶ですがじゃんけん大会です。
希望者は立ち上がって全員でじゃんけん。大抵2人ずつでじゃんけんして最後の一人までじゃんけん。勝った人はステージにあがって…。そこには布団が引いてあって…。って観客の見ている前でやっちゃうのね…。度胸あるよね。てかたまにオティンティンがおっきしないで不発の方もやっぱいましたよ。
この布団ショーは外人ボニータ達はやってなかった記憶。
そして、そうその頃のストリップ小屋と言えば…。ボニータ達のことです。南米のコロンビアとかから渡航費やら手配費用などの借金を背負って毎日毎日休みなく踊り続けていたのです。日本のストリッパーには2種類いて元または現AV嬢や本格派ストリッパーの若い女性。もう1種類はオバサンストリッパー。で、その頃の西川口とかの香盤は若いストリッパー嬢は1人か2人ぐらい。そしてオバサンとボニータが半々ぐらいだった記憶。
で、オバサンストリッパー嬢とボニータはピンクサービスをやってくれるんです。別名ピンク部屋。ようは3畳ぐらいの狭い部屋で…。スキン付けて…。というサービスです。これは入口の受付で別金額。でも3〜4千円ぐらいじゃなかったかな?なので入場料と合わせても1万いかない額で◯番できちゃんうんです。
しかも嬢達のダンスをじっくりと見てお顔と体を見定めることが出来るので。1日に何回かステージがあるので全員のダンスを見て、よし、次のステージで指名しよう、ってことが出来るんです。まぁ1ステージ全員踊るのを待たないといけないのですごい時間掛かりますが、ハズレを引かないですむ。パネマジとかじゃなくて目の前で体をクネラせたいやらしいダンスからアソコぱっくりまで全部見れるのでね。
でも問題あるのがそのピンク部屋のシステムです。各劇場によってシステム違うのですが西川口は困ったシステムだったのです。
嬢のダンスが始まると同時に受付。ウェットティッシュに番号と嬢の名前(だったかな…この辺記憶曖昧)をもらって順番が決まります。なので人気のあるボニータとかだとダンスが始まる前から窓口に並ぶという。香盤は確か10日周期とかで各劇場を回っていくのでその周期の最初の方に行って嬢を把握する、というのがストリップヲタ、というかピンクマニアの習性でした。あとはネットでも情報が頻繁に交換されてました。
で、何が問題なシステムかというと…。まず個室の位置。劇場の席の後ろに超狭い部屋があってそこでいたすのですが…。今何番目の人が入っているか分からないという。人気のある嬢だと十何人も!相手にするのでダンスが終わった嬢が部屋に入っているのかと思いきやそうじゃなくて前の嬢がまだ続いてたり。
大抵は終わった嬢が部屋から出てステージの横から楽屋に戻ります。すると次の嬢がそこから出てきてその部屋に入ります。それを見て1番目の人が入ります。でもトイレに行ってたり、外で休憩してたりすると今何番目の人が個室に入っているかわからなくなってしまうのです。なので、個室から出てきた人にお宅は何番目でした?と聞いて後何人待たないといけないか把握しないといけないという。なのでよく順番間違えが起きてた記憶。
蕨ミニは確か番号札を渡されて呼び出しがあったと思う。ステージの階じゃなくて階段上がって上の方に部屋があったと思う。なのでこっちの方が良かったかな。部屋も蕨ミニの方がマシだったと思います。
あと、そうだ西川口はステージ後方の部屋だけではピンクサービスが回らないぐらい大賑わいの時は窓口の横に異常に狭い部屋があってそこも使われてたと思う。2〜3回は入ったかな。部屋の横幅は1畳分ぐらいしか無かったね。
で、肝心のボニ達の水準ですが…。はっきりいってチャイエスなんか目じゃないほどのクォリティ。たまーにモデル並のクォリティの嬢もいたりしました。
まぁ、多額の借金背負わせて回収しないといけないのである程度以上の水準じゃないと現地スカウトがリクルートしないんじゃないかな。でも…来日したら地獄のように1日中朝から晩までダンス、セックスと超辛いお仕事…。
そこを逆手に取って店外デートに誘う人たちもいっぱいいたようです。
私の中で記憶に残っているボニは…。若いころのデミ・ムーアそっくりな超美形嬢!何回も通ってましたね。西川口公演の後は蕨で公演とかのスケジュールもあったりするので通いつめてました。だって南米と言えば美女の産地でスタイルもボンキュボーンな人が多そうじゃん?そういう中から選ばれて?まぁ商品になるとして選ばれてるんでしょうが、それで来日するわけだからね。現在のチャイエス嬢のクォリティなんか鼻くそ並ですよ。
西川口流全盛期でしたがあちこちのストリップ劇場に遠征してましたね。あ、ピンクサービス有りの所のみですが…。テアトル西川口、蕨ミニ、蕨OS、船橋大宝(だったかな…船橋の若松劇場はピンク無しだった記憶。でもそれ以外に2つピンク有りの劇場があった記憶なんだよな…)、あと新宿にもピンクありの劇場あったはず。そうそうに潰れたか休館になっちゃってた記憶ですが。
てことで一時期はストリップ小屋(ピンク有り)を遠征してました。あ、でも遠征してたってほどじゃないかも。本当のストリップヲタはお目当ての嬢を追って全国遠征しちゃうんだもんね…。しょせんおいらはピンクのみ!
西川口流とストリップ小屋を満喫していた、という思い出でした。
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西川口
西川口の話が盛り上がりました。
私は、経験無いの(当時から貧乏)で聞くのみでしたが
みんな、西川口を懐かしんでいました。
一回全盛期に行ってみたかったです。
No title
そう、あの頃の西川口は夢のようでしたよ。
スタイル抜群なちょいと前まで女子高生だったような嬢を抱き放題
でしたからね。しかも激安で。
いまじゃ西川口廃れてますもんね…。
また思い出したら西川口の思い出を書きたいと思います。
でわでわ。